そして市役所へ

外部団体派遣は4年でした。

そして市役所本庁勤務となります。産業部観光交流課でした。

担当は、主に能登空港の利用促進事業の担当でした。

当時の観光交流課は、数多のイベント、行事を抱えており、土日出勤が非常に多かった。

みんな、それぞれ担当業務をそれぞれこなしながら、イベントをみんなで乗り越えるという形でした。

イベント運営業務は全員で仕事に当たるため、非常に連帯感の強い課でした。

その反面、個別の業務については、独立して仕事を行っており、隣の人が、どんな仕事をしているか、わからない状況でした。そのことは、改善できればいいのかなと思いながら過ごしていました。

担当が一人ということは、責任も一人にかかってきます。トラブル等があった時は最悪でした。

私は合併直後に派遣されたこともあり、合併後の業務のすり合わせを知らないままでしたので、浦島太郎の様な状態で、苦労することが多かったです。

それでも、先輩方のみならず、後輩にも助けてもらい、何とか乗り越えられました。